常体と敬体

「常体と敬体」と聞いてすぐにピンと来る方は、中学校時代、国語が得意だった人かもしれません。「だ・である調」と「です・ます調」と言えば誰しもが「ああ、それのことね」とおわかり頂けるでしょう。

ここではこの常体と敬体、文末処理の仕方についてポイントを押さえていきましょう。

常体と敬体の使い分け

文末を「だ・である」で終わる書き方を常体、「です・ます」で終わる書き方を敬体と呼びます。一般的になじみ深いのは敬体ではないでしょうか。小学校の作文という人生初の文章作りでまず最初に教えられるのがこの敬体です。

一方、常体を最も良く目にするところと言えば、新聞が挙げられます。昨今では、ニュースはネットで…という方も増えていると思いますが、ネット上のニュースも常体で書かれています。

これらはどのように使い分けられているのでしょうか。

それぞれの文体の印象から、敬体は丁寧で柔らかい感じ、常体は断定的で堅い感じがします。使い分けもそれに応じて、読む人に語りかけたり、丁寧な印象を与えたい時は敬体を、逆に明確な事実を簡潔に述べたい時、込み入った内容を伝えたい時は常体を用いると文章の内容と文体とがマッチして、読む人に自然な印象を与えます。

なぜ使い分けるの?

文章を読むということは、読む側にとっては根気と集中力の要る作業です。話し手の表情を見ながら理解することができる会話と違って、文字情報から全てを汲みとらなくてはいけません。

要件や単語の意味をカバーして伝えたい内容の、言ってみればテンションのようなものを伝えるのが文末処理の役割だろうと思われます。文章が敬体で書かれていれば、丁寧さと柔らかさを感じそのつもりで内容を読みます。

反対に常体の場合は決定事項、或いは、ちょっと難しい内容、と覚悟するかもしれません。

つまり、書き手のテンションを伝えるために、文末を選ぶわけです。

文末処理の印象が読み手の心の準備と内容の印象を決めます。現在、読むシーンの中心になりつつあるネット情報も、これらを使い分けています。

どのように使ったらいいの?

1つの原則は、常体と敬体を混同させないことです。これらが入り混じると、読み手が読みにくさを感じる理由は、そもそも読むためのものとして存在する文章の殆どが、この原則を良く守って書かれてきたので、そうでない混同した文章を読むと雑然とした印象を持ってしまうからです。

教科書も、新聞も、基本的にこの常体と敬体の混同を避けています。そしてその混同を避ける根本は、先ほども述べた文章のテンションを伝える役割に由来します。混同してしまうと、読み手は書き手の意図を汲み取りにくくなってしまうのです。

但し、例外もあります。

1つは、会話文。鍵括弧の中はそれ以外の文章と異なる文末処理を行うことがあります。

もう1つは敬体の文章の中に箇条書きの項目を含める時。この時、箇条書きの内容だけは常体を使って簡潔さ、分かりやすさを表現します。

最後の1つの例外は、レトリックとして敬体の文中に常体の一文を差し込んで、内容を際立たせ強調する時です。例として…

私は出会う人にはなるべく親切にしようと心掛けています。
なぜかと言えば、--人生は一期一会の繰り返しで出来ている--と考えているからです。

のように、主張の核になる部分を強調する時などは例外的に一文の中に混入させることがあります。これらをしっかりと理解し、使い分けることで書く文章はより伝わり易くなるはずです。

いつも読み手を意識することを忘れずにすっきりと読みやすい文章を書く癖をつけましょう。

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