「見る」?「見られる」?ら抜き言葉の定義とは?

 私たちは普段、何も意識せずに日本語を話しています。無意識に話しているため、それが本来正しい言葉なのかそうでないのか、ということまで気を遣いませんよね。多くの日本人が間違いやすい言葉が数多くあるのも事実です。

今回は、その中でも「ら抜き言葉」についてご紹介したいと思います。

「ら抜き言葉」とは?

誰もが一度は聞いたことがある言葉でしょう。その名の通り、「ら」を抜いて話す言葉です。「見(ら)れる」「食べ(ら)れる」などのように、動詞の可能系から「ら」を抜いて使います。

日本語の動詞は、可能系、受動系、自発系、尊敬系の4つが同じ活用形であり、特に日常でよく遣われるのは可能系と受動系です。ですので、「ら」を抜かずに使うと、文脈でどちらなのか判断しなくてはなりません。

「見られる」だったら「見ることができる」と「見られている」という意味どちらもあり、「食べられる」だったら「食べることができる」と「誰々に食べられてしまう」という意味のどちらもあるということです。

ら抜き言葉は、この違いを明確にするために広まっていったのではないかと推測されています。

「ら抜き言葉」を使わないために

本来、日本語としては正しくない「ら抜き言葉」ですので、広まってはいても受け入れられないという人が数多くいるのも事実です。特にビジネスなどの改まった場では言葉遣いが物事を左右すると言っても過言ではありませんので、正しい言葉遣いを身に着けておきたいものです。

自分が使っている言葉がら抜き言葉かどうかを判断する方法は、「れる」の前に「ら」を入れて通じるかどうか、です。「置かれる」は「置かられる」とは言いません。しかし「来れる」は「来られる」と言うことができます。実際に言葉を話しているときに文法のことまで考えてはいられません。ですので、これが一番簡単な見分け方と言えるでしょう。

「ら抜き言葉」もアリな世の中

上記では、ら抜き言葉は正しい日本語ではないと述べました。確かにその通りですが、現在の日本では人々の間で広まっていることも事実です。実際、可能系なのか受動系なのか紛らわしいから、むしろら抜き言葉の方が良いという人がいることも事実です。

ビジネス会話などはともかく、日常会話でどちらを使うのかは最早個人の自由でしょう。どちらが自分にとって使いやすいか、また相手に伝わりやすいかということを一番に考えて、言葉を選ぶのが最も良い方法だと言えます。

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